130年の時を刻んできた約700坪の池泉回遊式庭園は当ホテルのシンボル。古来、産業文化や交通の要衝地・小倉の中心部にあって日常を忘れられる貴重な空間です。厳かな婚礼やお仕事の合間のリフレッシュ、一人で過ごすくつろぎのひとときなど、すべてを包み込みます。
庭園について
アメリカの日本庭園専門誌『数寄屋リビングマガジン/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が、日本国内の日本庭園約1000か所を対象に実施した「2021年日本庭園ランキング」を発表し、当館の日本庭園が35位に選ばれました。
https://gardenrankings.com/rankings/archive.html#2021















当ホテルが誇る日本庭園は、約130年前の明治22年、この地で炭鉱を経営していた当時の貴族院議員、山本貴三郎氏を施主として完成したものです。大変残念なことに作庭時の記録は失われていますが、東に流れる紫川の支流より運水を取り入れ、また足立山(標高597.8m。別名:霧が岳)を借景とする等、平安期から続く日本庭園の伝統に則って作庭していることを考えると、おそらくは当時の第一人者の宮大工棟梁と庭師とを呼び寄せて造らせたであろうと想像されます。
作庭技法としては、京都二条城の二の丸庭園(小堀遠州作)と同じ、池泉廻遊式書院造りの形式です。庭園内は松の植え込みを主体としており、『林泉廻遊式書院庭』と呼称しています。2、3本ずつの松を効果的に組み込んで造り上げており、灯籠の配置と合わせて織りなす遠近の手法を用い、特に東に位置する瀧の石組みや正面の真石の石組みは、現有の日本庭園でもあまり見られない珍しい手法が用いられています。
池泉廻遊式書院造りは、武家文化の流れを汲むものであり、この庭園に呼応して建てられた離れ座敷(翠水)の建物と庭園との調和が醸し出す空間がその一端を偲ばせます。
明治中期に作られた当日本庭園は当時から小倉以外でも知られており、日露戦争の直後、優れた文人としても評価の高い乃木希典大将が、この地にあった12師団の検閲に来られた際に、庭園内に建てられていた寝殿造りの旅館に数日間滞在した史実も残されています。
作庭当初、2,000坪の屋敷に1,000坪の広さを誇った庭園は、近代以降に進んだ周辺の開発もあり、現在約700坪を残すのみとなっています。しかしながら、目まぐるしく移り変わる時代にあって、この庭の存在自体がひとつの奇跡といってもよいかもしれません。



翠水(すいすい)について

『翠水』は、ご家族のお祝いやご法要をはじめ、大小宴会にご利用いただけます。
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